大田 翠巌の城崎湯治
先日 山本屋に 長浜市長浜城博物館の お客様にお泊り頂いた。
その時大変貴重な資料をお見せ頂いたので紹介させてもらいます。
長浜市の岩隆寺の僧侶である大田 翠巌さんが
文政7年(1824年)に城崎温泉に湯治の旅に出られた文献が残っている。
今から200年近く前の城崎温泉の様子を垣間見ることが出来る。
5月1日に出発し、城崎温泉に到着したのが
5月7日。到着するまで5泊6日かかっている。
城崎で泊まられたのが、何と山本屋。
19日滞在されたらしい。
当時から外湯があり、「一の湯」「二の湯」「三の湯」「曼荼羅湯」
「御所湯」「上の湯」に入浴されている。
一日の間に何回か外湯に入り、それ以外の時間で
芝居見物をされたり、日和山に行かれたり
本住寺、温泉寺、愛宕神社などをしばしば訪れられたようだ。
食事内容については詳しい記述がないが
昼食に汁とハマチの切身を食べたことが出てくるが
19日も滞在されたので、今の旅館のような食事ではなかったと思われる。
現在の1泊2日の旅と違い、湯治という言葉にふさわしい旅であったようだ。
最後に長浜市長浜城博物館の太田さん、本当に貴重な資料ありがとうございました。
その時大変貴重な資料をお見せ頂いたので紹介させてもらいます。
長浜市の岩隆寺の僧侶である大田 翠巌さんが
文政7年(1824年)に城崎温泉に湯治の旅に出られた文献が残っている。
今から200年近く前の城崎温泉の様子を垣間見ることが出来る。
5月1日に出発し、城崎温泉に到着したのが
5月7日。到着するまで5泊6日かかっている。
城崎で泊まられたのが、何と山本屋。
19日滞在されたらしい。
当時から外湯があり、「一の湯」「二の湯」「三の湯」「曼荼羅湯」
「御所湯」「上の湯」に入浴されている。
一日の間に何回か外湯に入り、それ以外の時間で
芝居見物をされたり、日和山に行かれたり
本住寺、温泉寺、愛宕神社などをしばしば訪れられたようだ。
食事内容については詳しい記述がないが
昼食に汁とハマチの切身を食べたことが出てくるが
19日も滞在されたので、今の旅館のような食事ではなかったと思われる。
現在の1泊2日の旅と違い、湯治という言葉にふさわしい旅であったようだ。
最後に長浜市長浜城博物館の太田さん、本当に貴重な資料ありがとうございました。
by gubigabu | 2007-03-05 16:51 | 文学